スーパーファミコン用ソフト

『学校であった怖い話』

販売…パンドラボックス     購入価格 1280円




■第一章『サウンドノベル初体験』


…今から5年程前に、『弟切草』(チュンソフト)を筆頭とした
「サウンドノベル」の一大ブームがありました。

細かいキャラクターアニメーションを主体とし、
それに容量を割いていた既存のゲームに対して、
それらを一切廃して
「一枚絵」「音声」「文章量」
に重点をおいたサウンドノベル。


…「見えない風景を自分の想像力で補うので、
かえって、挿絵などによる作り手と読み手の
イメージギャップが起こりにくくなる」

という文章媒体の利点を生かしつつ、
「音声演出」「進路選択」という
ゲーム機ならではの要素の付加。

それによって新たなアドベンチャーゲームの形を示した
「チュンソフト」の偉業
には頭が下がる思いです。


ただ、当の「チュンソフト」からは3本ほどしか
サウンドノベルが発売されていないのが意外ですが…



…で、みんなが『弟切草』『かまいたちの夜』一色に
染まっていた頃、そんな流行に乗り遅れてしまった僕が
秋葉原で出会ったのが『学校であった怖い話』でした。

1000円ちょっとで叩き売りされていたので、
「サウンドノベルの勉強」「実は怪談好きな自分」
の2つに後押しされて、大して期待もせずに購入しました。


ところが、これが結構「当たり」でありまして、
本当に人生は分からないものですね。




■第二章『怪談について一説…』


…先ほど、僕の「怪談好き」については触れましたが、
口はばったい事を言わせてもらえば、
世の中にあふれる怪談の半分以上が、
読むに耐えない駄作であると断言できます。


…ゲームの評価から話が外れてしまいますが、
この機に、「駄作」と呼ぶ理由のいくつかを
系統別に分類してみようと思います。

なお、文中の「怪談」は、基本的に
日本で語り継がれてきた物をひとくくりにした総称として
使用しているので、そのようにご理解の上でお読み下さい。


■『霊能力肯定形』■

…これを「系」としてくくるのは、
その「該当作品の多さ」から適切では無いか?
とも悩んだのだが、あえてくくってみることにしました。

宗教系、女子中高生を中心に人気があり、
幅広い作品群を誇ります。


…が、その根底には、
自分が霊能力を持っていると思い込むことによる
「他人との擬似的差別化による優越感」
「ゆがんだ選民思想」
しか無く、
実生活の中で自分の生き方・役割を見つけられなかった連中の
逃げ場所である『霊能力』というものを肯定し、
いつわりの安心感を得る(与えている)に過ぎない、
「怪談」と呼ぶのもはばかられる代物ばかりです。


…この手の怪談の発信者の特徴として、
『霊能力』を否定する人間に対する
攻撃的なまでの反論・反撃
があげられます。

これは当然のことで、彼らは言わば
「霊能力」というロープのみにしがみついて
崖っぷちに立っている状態
なのです。

強風が吹き荒れる現実社会の中で、
このロープから手を離してしまえば、
もはや自分には何も残らない
という危機感・焦燥感が彼らを吼(ほ)えさせます。


…彼らに求められるのは、
ロープからちょっと手を離してみる勇気です。

風は、自分達が恐れていたほどは強くないかも知れないし、
そもそも、自分達が立っていた所は
本当は崖っぷちではないのかも知れないのですから。



■『スプラッタ系』■

…スプラッタの舞台状況自体は確かに恐ろしいですが、
「怪談」の恐怖とは少々意味合いが異なるように思います。

生命の危険が迫ることで恐怖を感じるのは
生物として当然のことで、
これを「怪談」とすると
『天災・人災によるパニック物』『戦争物』なども
全て「怪談」という事になってしまうのではないでしょうか?




■『大騒ぎ系』■

…特徴としては、原因不明の怪異が連発します。

理由も繋がりも関係無しに、
世間一般で「心霊」と呼ばれている現象が
ランダムにくり出される様は、あたかも
「和洋中バイキングの大皿」
のごとく統一感に欠けます。


…で、散々大騒ぎした挙句に、ふと気付くと
主人公は日常の風景の中に戻ってきているのです。

「あれは一体なんだったんだろうか?」
といった疑問形でしめくくられることが多いですけど、
それを聞きたいのはこっちです。



■『あったかぽかぽか系』■

…昨今の日本の怪談でけっこう幅をきかせているジャンルです。

話の特徴としては、
「悪霊に襲われたけど、『南無阿弥陀仏』と唱えたら
死んだおばあちゃんのお守りが光って助けてくれた」

とか
「幽霊に取り付かれて散々恐ろしい目にあったけど、
彼らがこの世に残した未練を断ち切れるように手伝って
あげたら、暖かい光となって天に帰っていった」

といった感じです。


「死んでたって人間なんだから信じあえるはずだ」
という薄汚い理想にまみれた博愛主義は、
さすがは幼少のみぎりより、
ТVの安っぽいお涙頂戴バラエティに感動して
暖かい涙を流して喜んでいるお国柄だけのことはありますね。



…前者は怪談ではなく、ただの「ご都合アクション」です。

この手の話の決まり事は、『お守り』は最終アイテムであり、
『南無阿弥陀仏』はアイテム発動呪文。

この2点だけです。


…それまで、どんなに恐ろしく不可解な災難に
見舞われていても、『南無阿弥陀仏』と唱えるだけで
後腐れなく万事解決してしまう手軽さは、
無能作家が、頭の悪い読者を
だましてメシ代を稼ぐのに最適

怪談小説家初心者にはお勧めです。


…それにしても『南無阿弥陀仏』『お守り』発動とは、
さすが神仏混合の国「日本」と言えましょう。


「コウモリさん助けて」と言ったらスーパーマンが飛んで来たり、
クシャミをしたら壺から「アパラパー」とか言って
大魔王シャザーンが出てきたのと同じぐらい、
両者の関連性が無いのにねぇ。

例えが古くて申し訳ないですけど。



…で、後者は単なる「安っぽいヒューマニズム話」です。

『信頼』とは両者の付き合いの中から
少しずつ築かれるもの
なのに、
「最初から相手を信じろ」という、
「超」のつく平和ボケ国家ぶりが、
この手の話から滲み出ています。


…また、人間でないものに「真実の信頼」を求める心理の中に、
つよい幼児性と現実逃避が見て取れます。

「霊」という (ありもしない) 特殊な存在と
心を通わせる主人公を描くことによる、
「(ありもしない) 自己の特別性」を
満喫させる
ような話作りは、
前述の『霊能力肯定型』
同じ部類と言えるかも知れませんね。




…色々と書き連ねましたが、私は
『怪談』は『手品』と同じだと考えます。

手品には当然トリックがあるわけですが、
だからと言って
「いつわりの物だから手品はくだらない」
という評価は正しくありません。


いつわりの物だと分かりきっていても、
その鮮やかな手口により
簡単にはタネを見破ることができない上質の手品は、
人間の想像力と推理力をあふれるほどに刺激してくれる
最高のエンタテイメントなのです。

『怪談』も、そういう物でなければいけないと私は考ます。



…世の中の「怪談」に携わる全ての人々に私は言いたいのです。

「怪談」は決して、ただの安っぽい作り話ではありません。

平和が当たり前となった現代日本において、
しかし忘れてはならない要素「恐怖」という物への
飽くなき追究と表現への欲求が生み出す
最高のエンタテイメント、それが『怪談』なのです。


…その誇りを常に自覚し、
あわれな社会不適合者にコビることなく、
「恐怖」を伝え育て続けることを願って止みません。



ご清聴ありがとうございました。

終わり。








終わるなよ。

長々と失礼しました。
続いて、ゲームの批評に入りたいと思います。

お待たせー。




■第三章『学校であった怖い話』


…当作品は、選択肢によって展開・結末が変化する
アドベンチャーゲーム
です。

正しい選択というものが存在せず、
どのような選択肢でも話が結末する(ごく一部に例外アリ)ため、
ゲームオーバーを恐れることなく存分にシナリオを楽しめます。


…1回のプレイは「7話構成」になっており、
語り手の6人がそれぞれ何番目に話すかを選択することによって
「1人につき6種類」の異なる話が楽しめます。

つまり、「6人」×「6話」の『36話』が基盤となり、
途中の選択肢によって内容が変化していくわけですね。

ちなみに「7話目」だけは「6話」の延長なので選択できません。



…語り手の6人はそれぞれに個性派ぞろいで、
『恨みやイジメの話中心』であったり
『トイレの霊専門』であったり
『お笑いメイン』だったりします。

「人物の性格」=「怪談のジャンル」とした
構成の分かりやすさはアイデアの勝利と言えます。



…話自体も (比較的スプラッタよりなのは否めませんが)、
甘っちょろい「お涙頂戴話し」はほとんど無く、
霊や怪奇現象の怖さだけにしぼって書かれているので、
私はとても楽しめました。


どこかで聞いたような話ももちろんありますが、
このゲーム独特のパーツである
『こもったような不気味な音楽』
『画像圧縮によって劣化した映像の持つ、
無機質さ (しかも結構ケバケバしい色使い)』
とが
織り成す雰囲気のおかげで新鮮な恐怖を体験できました。


特に後者は、稚拙ゆえの不気味さとでも言いましょうか。

例えば、「ベッタリと青い水面」に、
「怪しくケバい黄色の手」が生えているといった、
できることなら一生遭遇したくないような
色の取り合わせの映像に仕上がっているのです。



…これはSFCの性能上、仕方のない結果なのですが、
その不自然さが逆に
「かつて無い映像恐怖」を生み出したわけですね。

これは「プレステ版」を遊んだ人たちが
『絵がキレイになって、あまり怖くなかった』
感想を述べているあたりからも間違っていないと思います。


まあ、なんだかんだで
僕のお気に入り『怪談ゲーム』の筆頭ですので、
怪談好きの皆さん、ぜひお試しをー。



…ところで、この『学校であった怖い話』と、
続編の『つきこもり』の2作が面白かったので、
「パンドラボックス」=『優秀な怪談ゲーム製作メーカー』
と信じて疑わなかった私ですが、先日
『死者の呼ぶ館』という恐怖アドベンチャーが
同社から出ていることを知り嬉々として購入してみました。




…詳細はまたの機会に見送りますが、
一言だけ言わせてもらうなら


『グッバイ飯島健男』て感じ ?



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