セガサターン用ソフト

『天地無用! 連鎖必要』

販売…パイオニア (開発:色々)     購入価格 1680円



■序章『はじめに』

…今でこそ「音(リズム)ゲー」にその座を明け渡した感がありますが、
5年程前、ゲーセンに来たカップルが楽しむジャンルといえば
「落ち物パズル」 でありました。

「比較的単純で入り込みやすいルール」
「単純な画面構成ゆえ、一目で状況把握ができる納得性」
「アクション要素による適度な緊張感」


…などの理由から、幅広い支持を受けた「落ち物パズル」。

しかし、世に溢れた「落ち物」も、元を辿ればほとんど全てが
『テトリス』『コラムス』『ぷよぷよ』の亜流であり、
ガワを変えただけと非難されても仕方ないような
まがい物も数多く発売されました。

そんな中、企画者たちは、他の作品との「差別化」を目指して
様々な要素を「落ち物パズル」に付加していったのです。
ゲーム性を高めた場合もあれば、遊び勝手を悪くしただけと
言われても、反論のしようのない無残なものまで、様々に。

当ゲーム『天地無用! 連鎖必要』では…
『ブロックの積み上がり方が斜めになっている』
『相手の動きを封じる「水面」という要素がある』


という2点において、他の作品との差別化がなされています。
「差別化」には成功していると言って良いでしょう。

では、ゲームとしてはどうだったのか?
『天地無用〜』は「落ちゲー」の新境地を切り拓いたのでしょうか?

それは、以下をご覧下さい。




■第一章『斜めに積み上がるブロック』

「ブロックが斜めに積み上がる」というアイデア自体は
昔からありましたが(ちょっと違うが、コナミの『ヘクシオン』など)、
あまり見かけないシステムです。 縦横にブロックを並べるタイプに
比べて「一列にブロックを並べるのが感覚的に難しい」
というのが、大まかな理由でしょう。

ところが、この『天地無用』を遊んでみるとブロックが消える消える。
適当に積み上げても、すぐに連鎖が発生します。

それはイイのですが、逆に、消えすぎるために「4以上の
大きめの連鎖」
が作りづらくなってしまっています。

このゲームは大きな連鎖を作らないと相手に致命的ダメージが
与えられないため、小さい連鎖のくりかえしは、そのまま
延々とシーソーゲームをくりかえす結果につながります。

どうして、こんな辛い状況に陥ってしまうのでしょう ?


…当ゲームのブロックを消すためのルールを調べてみると、
その理由が見えてきました。 理由は大まかに「3つ」あります。


…まず、1つ目。

@『同じ種類のブロックなら、隣接さえしていれば、
一列に並んでいなくても揃っていると見なされる』

…これのみを見る限り、『ぷよぷよ』に代表される「落ちゲー」の
多くにこのルールが採用されているので、『天地〜』だけが
「消しやすい」と感じる理由の説明にはなりません。 問題は…

A『最低「3つ」ブロックをそろえれば消える』 

…と併用されている点にあるのです。


ちょっと思い出してほしいのですが、アナタは@とA
同時に持ち合わせたゲームを遊んだことがありますか?

多分、無いのではないでしょうか ?

@を採用しているゲームなら
『「4つ」以上そろえないと消えない』でしょうし、
Aを採用しているゲームなら
『ブロックを一列に並べないと、そろえたことにならない』
というルールが併用されていたはずです。

それは、@とAのルールを組み合わせて使うと、そろう確率が
高くなり、なんの苦も無くブロックを消せてしまうから
です。


そして3つ目の理由…

B『ブロックが斜めに並ぶために、
単純に隣接ブロック数が1.5倍になる』

…によって、さらにブロックの消えやすさに拍車がかかってしまいます。

そのため「ブロックが7種類もある」という、普通に考えれば
そろえるのすら難儀であろうブロックたちがパカパカ消えてしまう。

その結果、『小さな連鎖は楽々作れるが、大きな連鎖は
ほとんど作れない』
状態に両者が陥り、力の均衡によって
延々とシーソーゲームを繰り返すこととなるのです。

せめてブロックが斜めに積み上がらなければ…


と考えるにつけ、このオリジナリティ溢れるアイデアは、
決して「良いゲームに近付くルールでは無かった」
との結論に至らざるを得ません。



■第二章『「水面」という要素』

「お邪魔ブロックを相手に送り、動きを封じて勝つ」という
アイデアは、『コラムス』『ぷよぷよ』以降受け継がれてきた
ものですが、当ゲームでそれに該当するのが 「水面」 という要素です。

連鎖することによって相手の水面を高くすると、
相手は水面より下にブロックが落とせなくなり
(つまり、下のブロックたちと分断される)
下のほうに組んでおいた「連鎖できるブロックの並び」たちを
起爆することが出来なくなってしまう
という物です。

見た目の納得度においても、中々秀逸なアイデアではありますまいか。


さらに驚くべきは、その「水面より下」へのアプローチが可能な
『イカリ』(アンカーね)というブロックが存在する点です。

これを水面に浮いている他のブロックの上に置いてやれば、
『イカリ』の重さによって、その下のブロックが全て水中に沈むわけです。

成程 !  これなら水面を上げられても
逆転のチャンスが無くなったわけではないので、
いくらでも戦いようがあるではありませんか。

水面を下げる手段は『ハート』ブロックを3つ並べる以外無いのですが、
『イカリ』『ハート』を水中に沈めて並べれば、
わざわざ水上で『ハート』を3つ並べるよりもスピーディに反撃できます。

いえいえ、それどころか水中に沈められた「連鎖できるブロックの並び」
をうまく起爆させることができれば、こちらの水面を下げるまでも無く、
相手のフィールドを全て水底に沈めて勝利をもぎ取ることも夢ではありません。

ここまで考えぬいたルールを組める企画者が世に存在したとは。

感動いたしました。

このゲームを「ヒドい」と評していた、
私の以前の上司「Y氏」の気が知れません。


…と、ここまでが、ゲーム前に読んだマニュアルから筆者が
推測していたゲームルールでありました。


とりあえず実際にゲームを始めて、
この秀逸なルールを体感してみることにしましょう。

折りよく、沙々美がコチラの水面を上げてきました。
しかし、コチラの水面下にはバッチリ「連鎖の準備」が
仕掛けてあります。
 待ちに待った『イカリ』も登場しました。
反撃の快感を存分に味合わせてもらいましょう。

さぁ、食らえ沙々美。
そそその愛らしい声で泣いてみいぃ。

横山智佐の声でえぇぇ!!!

…と意気込んで、水面下に起爆色のブロックを沈めました。
…が、連鎖が起爆しません。

あ、あれ ?

今度は『ハート』を沈めて3つ並べ、水面を下げにかかりました。
…が、 『ハート』も消えません。

何が起こったのでしょう ?
沙々美の悲鳴が聞こえません。
水面も少しも下がりません。

私の頭と背筋は、ゆっくりと冷えていきました。
そして、認めたくもない「とんでもない結論」
認めざるを得ない我が身を呪いました。

なんと、このゲーム…

『水面下のブロックは、水面が下がるまで絶対消せない』 のです。


では、どうやってこの状況を打開すれば良いのでしょう?

まさか、 まだかろうじて水の上に残っている、
この狭苦しいフィールド内で、「7分の1の確率」で降ってくる
『ハート』を3つも並べて少しずつ水面を下げていけ

とでもおっしゃるのですか?

ちょっとでも数学で「確率」をかじったことのある人間なら、
それが いかに困難きわまる道
であるかは明白ではありませんか?

冗談だと言ってほしい。

冗談だと言ってほしかったのに、
完膚なきまでに真実でありました。


…信じがたい事実、冗談のような仕様に、
先ほどまで感じていた当ゲームの企画者に対する敬意は、
木っ端微塵に粉砕されました。

『水面』という素晴らしいアイデアの種に辿りつきながらも、
彼にはそれを噛み砕き消化するだけの実力が無かったのです。 

せめて水中のブロックを消せる、というアイデアまで
辿りつく「持久力」が彼の脳にあれば…
と考えるにつけ、
このオリジナリティ溢れるアイデアは、決して
「良いゲームに近付くルールでは無かった」

との結論に至らざるを得ません。



■最終章『そして結論へ』

「新システム」「今までに無いアイデア」。

そんな言葉で彩られた広告やゲームを、今日まで
実に数多く、誰もが目にしてきたと思います。

ユーザーの購買意欲をあおることも、「ゲームを商売として
生計を立てる」
という視点に立てば、一方的に責められること
では決してないはずです。 だからと言って、それが「ルールとして
破綻したものを新システムの名のもとにユーザーにだまし売り」

(キビしい言い方ですが)することを容認する理由にはならないはずです。


本当はこのゲーム、他にもけっこう「ダメな部分」があり…

★『ほとんど動かないイベントグラフィック(かろうじて口パク)を
声優さんたちの熱演だけでかろうじて商品レベルにしている』

★『最初のイベントシーンで、単調で短いBGM(8秒でループ)を
190秒間(24回分)も聞かされ、ゲームを始める前にグッタリする』

★『ゲーム中の操作レスポンスの悪さは特筆物』

…等々、キャラ商品らしい急場しのぎな作りが光ります。
が、今回はあえて、ゲームの命である
『ルール部分』に絞って追究してみました。


…さて最後に、このゲームはキャラゲーらしく
「外注」につぐ「外注」の果てに生まれたゲームです。

タイトル画面下の(C)表記を良く見ると、その並びが
お互いの力関係 を示していることは、ある程度予想できるでしょう。

あるいは表記が無いだけで、この下にも
いくつかの外注先が存在
するかも知れません。

しかし、本当の問題は、「どこがパーツを作ったか」よりも
『どこがゲーム部分を企画したか』にあります。

その会社の企画力の低さが、発言力の無い小さな外注メーカーに
無理強(じ)いをしたと考えるのが妥当でしょう。

だって、ちょっと分かっている人間なら誰だって、
このゲームのルールが 破綻していることぐらい気が付くはずです。

それが世に出てしまったのは「止めなかった」のではなく
『止められなかった』からに他なりません。


「日本という社会の縮小モデル」

それがこのゲームから得られる全てなのです。




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