セガサターン用ソフト
『ブレイクスルー』
販売…翔泳社
購入価格 1980円
■第一章『パジちゃん』
…『ブレイクスルー(ザ・ウォール)』という作品名をご存知の方は少ないでしょう。
でも、パソコンゲームの『さめがめ』なら知っている、
という人は多いのではないでしょうか。
実は、あの『さめがめ』のオリジナルが『ブレイクスルー』なのです。
…製作者は『テトリス』の開発者として、その名も高き
「アレクセイ=パジトノフ氏」(通称パジちゃん)。
毎度の事ながら、彼の「遊びに対する着眼点の鋭さ」には驚かされます。
…ちなみに僕がこのゲームを購入したのは、
あの「消費税5%」が開始された
1997年の4月1日でありました。
『ゲーム企画者を志す者として、最初に買うべき物は
良質のゲームであるべきだ』との信念のもと、
朝食を買うのもグッとガマンして10時を待ち、
秋葉にくり出して購入したアノ日。
若気の至りと言えばそれまでですが、
そんな「ゲームに対する真っ直ぐな心意気」が
愛らしく感じられますね、若き日の私。
■第二章『ゲーム内容』
…縦横に「300個ほど」並んだ「5色前後」のブロックたちを、
同じ色の物どうしが2つ以上隣接していれば消せることを利用して
全て消し去ることが当ゲームの目的です。
ブロックを消したことでできた空間は、
その上に別のブロックが乗っていれば
真下に落ちてきて隙間を埋めます。
ブロックは隣接していないと消せないため、
同じ色のブロックがなるべく「斜め」に並ばないように
注意しながら消していく必要があるわけです。
…以上のルールで、
「消せるだけ消して、最終的に何個消せたか」
を競うのが『さめがめ』です。
…そして上記の要素以外に、
ゲーム中に上空から「単体のブロック」や「アイテム」が落ちてきて、
「一定時間内に全てのブロックを消さないとステージクリアにならない」
のが『ブレイクスルー』です。
異論もあるでしょうが、
僕は残念ながら『さめがめ』のほうが
ルール的にきれいにまとまっているように感じます。
…たしかに、ゲーム序盤では、アイテムなどによる
豪快な消しが楽しめる『ブレイクスルー』のほうが楽しいです。
でも、後半になり、残り少ないブロックと同じ色のブロックが
それぞれ2個以上余るように考えながらのプレイは、
息苦しく、納得がいきません。
迫り来るタイムアップに急(せ)かされつつ自分が出来ることといえば
ランダムに降ってくるブロックの色が、
自分に都合のイイ組み合わせになるよう祈る事ぐらいで、
勝敗は文字通り「時の運」に委ねられてしまうのです。
このせいでタイムアップになってしまったときの悔しさときたら…
…ただ、『パズルボブル』『ヨッシーのクッキー』『パズループ』などなど、
同系列のパズルにおいても、後半に同様の「やきもき感」が感じられるあたり、
ある意味「全消しを目標としたゲーム」共通の難点と言えるかも知れません。
…あるいは、元々は『さめがめ』のようなゲームだったものが、
「今風のシステムに」という販売メーカーの意向から、
このような形になってしまった可能性は十分に考えられます。
アイテム等のアイデアを吟味してみると、
悪い意味であまりにも「今風」であり、
パジトノフ氏の発案にしてはチグハグな印象を受けるからです。
何というか、
「中途半端に知っている人間が後付けしたアイデア」
のようなイメージが感じられるのです。
…いずれにしても、『ブレイクスルー』の評価が
「今ひとつ」という点に変わりはありません。
残念ながら、お薦めするほどの面白さは無いです。
インターネット上で、『さめがめ』をダウンロードすれば十分でしょう。
ただ、本当の意味での「パジトノフ氏のオリジナル版」があるのなら、
ぜひ遊んでみたいものです。
『ブレイクスルー』に対する正当な評価を下す意味においても。
■お詫び■ 実は、このゲームの批評について、「2003年12月」に指摘がありました。 なんと『さめがめ』のほうがオリジナルで、 しかも『制作者は日本人』という、 自分にとって鉄のハンマーでブン殴られたほど凄いショックの情報が。 ネットで情報をかき集めてみると、 たしかにかなり信憑性の高い情報なのです。 普段から『ゲームは、根本にあるアイデアこそが命であり、 優秀なアイデアを出せる企画者を心から尊敬する』 ことを信条としている僕にとっては痛恨の大ミスです。 『さめがめ』の作者さんには、もうとにかく、お詫びする言葉も見つからず、 自分の書いた批評を読み直すたびに恥ずかしさで自分の頭を机に連打する始末。 で、せめてものお詫びとして、以前の批評(以下)を書き直さずにさらし続ける ことで自分を罰したいと思います。 本当に本当にゴメンなさい。 それにしても、あの『さめがめ』の発想が 日本人の頭脳から生まれたものだったとは。 間違った事を取りつくろうとして言うわけではないですが、なんか、 『一部の日本人には、まだまだ発想の奇抜さが残っている』 という事実は、素直に嬉しかったです。 『僕自身も負けてはおれん』 という熱い気持ちがフツフツと湧いてくる思いです。 ★ちなみに、ネットで調べたかぎりのこの作品の 大ざっぱな経緯は、以下のとおりです。
1985年 『Chain Shot!』 月刊ASCII誌で富士通のFM−8用に
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