ファミコン用ソフト

『マリオブラザーズ』

販売…任天堂         購入価格 3800円

執筆日:2002年 6月26日





ぎゃあ!  上の「販売メーカー」が『アイレム』になっていることに、
2006年11月に読み直して気づいたよ。
直前に書いた『スーパーR−TYPE』のタイトルからコピペしてきて、
うっかり書き直し忘れたもよう。 ヒ〜。

これまでの4年半、この批評を読んだ人間に、
『池袋ふきはマリオの開発元も知らないのかーヘヘン』とか
『えっ、マリオて実はアイレム開発だったの?!』とか
思われてた可能性を考えると、赤くなったり青くなったりする自分です。

ご迷惑をおかけした皆さん、申し訳ないー。




■第一章 『古典』


『マリオブラザーズ』(任天堂) です。


『スーパー』でも、『ワールド』でも、『ランド』でも、
『64』でも、ましてや『サンシャイン』でもない、
正真正銘、元祖『マリオブラザーズ』です。



…別に、批評を書くゲームのネタが無くなったという訳ではなく、
仕事場でボンヤリと過去の名作に思いを馳(は)せていたところ、
ふと、かのゲームの事を思い出しまして。


しかも、やたらと細部まで憶えている。



…思えば、『テレビ画面を使ったゲームソフト』の中で、
それが動くハードが欲しくて欲しくてたまらない
ほどのショックを感じさせたソフトは、
『マリオ』が初めてだったように記憶しています。





…あれから、すでに20年。

ゲームソフトが夢のオモチャだった子供時代とはうって変わり、
あらゆる娯楽が自分にとって
「批評の対象」のようになってしまった、昨今。


「素直に楽しめなくなった」
という後悔も無いわけではないですが、
『作品に秘められた真実をトコトン読み解こう』としている、
今の「自分のゲームとの付き合い方」
満更(まんざら)でもない…

と、ほくそ笑んだりする日々。





…で、なんの話でしたっけ。


…そうそう、『マリオ』『マリオ』。


すみませんねぃ。

歳をとると、思い出話に心がロックしてしまって
動けなくなるものなのですわい、ふがふが。





…20年の歳月を経て、
「己が原点の1つ」に… 「幼き日々の思い出」
『批評のメス』を入れんとする行為の残虐性に圧倒されぬよう、
細心の心配りにて批評せんと己を叱咤激励するなり。





…ちょっと昭和初期な文体ですね。

この歳になって、今さらながら
太宰治とか夏目漱石とか芥川読んでる影響です。



すぐ感化されやがんの。

俺もまだまだヤング。






■第二章 『システム考察』


『マリオブラザーズ』は、
固定画面 (非スクロール) ジャンプアクションゲームです。


ゲームの目的は、
『画面内を徘徊している敵を全滅させること』



…敵は、床の下からパンチで殴って気絶させ、
その状態で蹴飛ばせば倒すことができます。


気絶後、一定時間内に蹴飛ばさないと、
目を覚ましてしまうだけでなく、
移動スピードがアップしてしまうので、
タイミングを計って攻撃する必要があります。





…また、敵には種類があり、
時には入り混じって攻撃してくるので、
それぞれの特徴を良く理解して戦うことが必要です。

以下に、それぞれの敵の特性をまとめますので、
プレイの際に役立てて下さい。

今となっては、このゲームに出会うこと自体、
奇跡的なことだと思いますが…





◆カメ

…最初から登場する、オーソドックスな敵です。
単純な『横移動』のみ行ないます。



◆カニ

…横移動のみですが、カメより速く動くので、
ウッカリしているといきなり食いつかれる事があります。

倒し損なって移動速度を上げてしまうと、
最終的にはマリオより足が速くなってしまいます。
こうなったら、走って逃げることは不可能。
後ろに付かれたらジャンプでかわしましょう。



◆ハエ

…移動自体は速くありませんが、一定タイミングで
「ジャンプ」・「着地」をくり返します。

ハエの「ジャンプ」中は、歩いて素通りする事ができますが、
こちらもジャンプしているとミスになります。

逆に「着地」時は、他の敵と同じ
地面にいるとぶつかってしまいます。

下から殴るときは、
ハエが床に「着地」していないとパンチが当たらないので、
うまくタイミングを計る必要があります。


…決して強敵ではありませんが、
他の敵と組み合わさると厄介な相手です。



◆アイス

…敵に混じって、たまに流れてきます。

ほっておくと、適当な床で停止して、
その床全体を凍らせてしまいます。

ここをマリオが歩くとスベってしまい、
加速・停止がスムーズに出来ません。

敵に捕まりやすくなって危ないので、床を凍らせる前に、
早めに下から殴り壊すことをオススメします。



◆ファイヤーボール(緑・赤)

…ステージをクリアするのに手間取っていると出現して、
画面を飛び回ってマリオの邪魔をします。

「緑」は、画面の端から出現し、
反対側まで跳んでいって消えます。

「赤」は出現後、ナナメに飛んで、
壁や床に跳ね返りつつ長時間居座ります。


滞空時間が長く、意表を付かれることがある分、
後者のほうが個人的にイヤです。

ファイヤーボールが「床を跳ね返る瞬間」
下から殴って消せないこともないのですが、
タイミングが結構シビアなので、
ほっておいて「避け」に専念したほうがです。





…これらの敵がまとまって攻めてきた時に、
「戦うべきか・退くべきか」…
戦うのなら「どいつを優先するべきか」
瞬時に見極めて、
失敗の恐怖に臆することなく適確な指先テクニックで突破する。


シンプルながら、ふんだんに盛り込まれた
『ジャンプゲーム』のエッセンスは、
さすが黎明期の名作だけのことはあります。





…しかし、こういう点のみに目を向けていては、
『マリオブラザーズ』は単なる「良質のアクションの1つ」として
片付けられてしまうようで、いささか不安です。


おそらく、『マリオブラザーズ』という作品に触れずに
ここまで読まれた人の中にも、
「丁寧な作品ではあるが、所詮、そういう物の中の1つ」
程度に感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。




…そのようにお考えの方は、今から語る「当ゲームの世界」
ジックリと耳を傾けて下さい。


『マリオ』が、決して
「良質」の一言で片付けてはならない存在
であることを知るために…






■第三章 『ゲーム世界』


『シュール』。


この一言以外で
『マリオブラザーズ』の世界を語ることは難しいでしょう。


かいつまんで説明いたします。





…まず、主人公は地下の下水通路にいます。

これは特別、変わったことではありません。



左右に走って移動します。

これも別段、普通です。



…そして、画面の端まで行って画面外に消えると、
反対側の端から再登場します。







…ちょっと待って下さい。




何事ですか、それは。





…知らない大人が見たら、
マリオAが画面の右端に消えると同時に、
左端からソックリさんのマリオBが現れた』

解釈しないと納得のいかない異常な事態です。




移動の異常性は、主人公のマリオに限ったことではありません。


パイプの中から現れるカメたちは、
最下段まで降りて一番下のパイプに入っていくと、
直後に一番上のパイプから再登場する
のです。


一体どうなっているのでしょう、このパイプ。




…敵に直接ふれると死んでしまうので、
「床越しに殴る」というのは理に適っていますが、
なぜ、床がトランポリンのように歪みますか?

そして、なぜ、元に戻りますか?




…そもそも、「触れたら死ぬ」相手を、
『気絶している間なら蹴り殺せる』のは、
私が許しても
世間が許さないのではありますまいか?




…また、敵にやられて復活するときに、
画面上部からファンファーレとともに
ゴンドラに乗って降りてくる不真面目な態度はいかがなものか?

加えて、地下にそのような設備を施す事は、
我らの血税の浪費以外の何物でありましょう?




…敵を1匹倒すごとに1枚出現する『コイン』も、
不可思議極まりありません。


先の「血税浪費」に対する国民の非難を回避するための、
政府の姑息な還元策の一環でありましょうか?





…などと、怒涛の如く書き連ねましたが、
つまる所、このゲームの世界設定には、
現実社会的なルールが何1つ存在しないのです。


『ゲームフィールド』というシュールな空間に住む生き物たちが、
『ゲームルール』という秩序と物理法則にしたがって動く世界。


それが、『マリオブラザーズ』なのです。






■第四章 『システムか、現実味か』


…もちろん、これらの『異常事態』は、
ゲーム的な視点からすれば、むしろ遊び勝手を向上させる
『秀逸なアイデア』であります。



『画面内に敵が現れて、それを間接的手段で攻撃し、
攻撃した敵が隙を見せている間に
肉薄する危険を冒してコレを撃破する』


…という、文章にすると味もそっけも無い基盤ルール。


そこに、ディフォルメされたキャラクタが飛び交う愉快な空間や、
プレイヤーの納得性を向上させるためのツジツマを追加した結果、
このような『シュールな世界』が誕生したわけです。




…これは、
『現在のゲーム作りとは、かなり異なる制作工程』
とられた結果だという事に、皆さんはお気づきでしょうか?



つまり、『マリオブラザーズ』の制作は、
まず、
『表現したいゲームシステムや、遊びのエッセンス』があって、
そこに、見た目の楽しさや間口の広さを付加するために
『装飾部分』後付けされているのです。


当然、「後付け」ですから
現実味という視点から見ればメチャクチャです。

しかし、先に述べたとおり、
『マリオブラザーズ』のルールやそれぞれの要素が
秀逸であることは、厳然たる事実です。




…ただ今回は、「現在多く見られるゲームの作り方」と、
「昔のソレ」とを比較してどうこう言うつもりはないので、
両者の掘り下げた分析は無しにします。
(『ここまで踏み込んでおいて無責任な!』というお声も分かりますが…)


『遊び勝手を最優先したシュールな世界』がイイか、
『遊び勝手を殺してでもリアリティを優先したゲーム』がイイか、
については、別の機会に話すということでご勘弁下さい。




…さて、それは置いておいて。

次の章で語るのが、僕が今回の批評で最も言いたかった、
『マリオブラザーズ』と出会うことで得た、ある重大な真実
についての話です。






■第五章 『師』


…第三章で、多少大げさに「大人の視点」で
『マリオブラザーズ』をこき下ろした僕ですが、当然、
遊んでいた当時はそんな矛盾など少しも気にしませんでした。




『子供だったから』

理由は、そんな所でしょう。




…でも、まさに『子供だったから』こそ、
『マリオブラザーズ』は「ある重要な概念」を、
子供の僕の頭に無意識のうちに学習させたのです。





…それは、

「遊びのルールとして整っていれば、
現実世界のルールは無視してイイ」


…という、『TVゲームの真理』でした。





第三章で少しふれましたが、もし僕が『マリオ〜』という作品に
大人になってから出会っていたとしたら、
それまでに培った「現実世界の物理法則」にならわない
『画面の端から出て行った者が、反対側から再登場』
という概念を飲み込むのに、かなり苦労したはずです。


それは、そのまま『ゲームのプレイスタイル』に影響を及ぼし、
『画面の反対側から登場』というルールを
積極的に使用しない
(と言うより出来ない) 自分がいたことでしょう。





…似たような経験として、以前、
『ストU』(カプコン)を遊んでいた僕に、父が
『どうして、その飛び上がる技 (昇竜拳) ばかり使うんだ?』
と、質問したことがありました。

僕らにとっては『上昇中は無敵が当たり前の昇竜拳』も、
父にとっては『ジャンプする分、隙の大きいただのアッパー』
にしか見えなかったからです。


『上昇中は無敵』というシュールな現実(ゲームにとっての)
飲み込まないと、昇竜拳の持つ「本来の意味」
ひいては『ストU』独自『ゲーム性』は、
決して見えてこないのです。





…実は、僕自身、20歳を超えたあたりから、
新しいゲームシステムに入るときに
『垣根』のような『壁』のようなものを
感じるようになってきました。


年々強くなっているように思える、その「壁」とは、
『こんな事、あるはずが無い』
『今までの自分の経験に、こんな物は無かった』

という感情からの拒否感です。


これは、ゲームを楽しんでいる瞬間にまで、
「現実のルール」に縛られるという、
「ゲームを含む娯楽全般を楽しむ姿勢」にとって、
ある意味「致命的」な思考パターンの現れだと言えます。

(最近は、それと認識したおかげで、だいぶ抵抗感は減りましたが…)





…だから、感性の柔らかい小中学生の時分「TVゲーム」に触れ、
『マリオブラザーズ』という、
「システムを重視した果てのシュールな世界」強烈なるインパクト
「体験・学習・無意識に理解」できたことは、
たいへんな幸運だったと言えるでしょう。


人生において絶妙なタイミング『マリオ』と出会い、
結果的に自分に与えられた影響力の大きさに、
今さらながら愕然とせずにはいられません。





…仮にこれが、今の世の中にあふれているような
『ストーリー中心・CG中心のゲーム』との出会いであったら、
これほど「TVゲーム」に心寄せる結果にはならなかった。

…と思うのです。



「ストーリー」なら、小説や映画などのほうが長(た)けていますし、
「CG」なら、ゲーム以外にもいくらでも発表の場がありますから。





TVゲームはスゴい』
TVゲームには、それでしか表現できない世界がある』


そう確信することができたのは、『マリオ〜』の制作者の方
他の要素 (現実的な設定など) を犠牲にしてまでも表現してくれた、
TVゲームでしか表現できない
『卓越したゲームシステム』
のおかげなのです。





…出会いから20年経って、僕は思い出の作品『世界設定』
「現実の視点」から大いに笑いました。

しかし、言うまでも無く、
『マリオブラザーズ』の「シュールな世界」は、
ゲームシステムという視点から分析すると
実に『矛盾の無い正しい世界』を確立しています。


笑えば笑うほど、その陰に隠れている
「遊びの視点」から見た世界設定の完璧さ
感嘆せずにはいられなくなるのです。





「美化された思い出」として埋もれることなく、
1000を超えるゲームを遊び倒した自分にとっても、
なお、輝く光を失わなかった名作『マリオブラザーズ』。


人生の真実が、出会った師によってもたらされる物だとしたら、
『マリオブラザーズ』は間違いなく、
僕の人生の師の1人なのです。




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