プレイステーション用ソフト

『G ダライアス』

販売…タイトー       購入価格 友人から借りた



■第一章『時超えて再び』

…タイトーのシューティングゲームの大黒柱『ダライアス』シリーズ
最新作(2001年現在)である『Gダライアス』を遊んでみました。

ゲーセンに出た当時の遊んでみた印象は、
ポリゴンがくがく単調破壊の快感が希薄
という散々なものでした。


…で、時は流れて先日、友人から
PS版の『Gダライアス』を借りました。

家でジックリ遊び込んでみると、
ゲーセンで遊んだときと違った評価になることは
往々にしてあります。

深く付き合うことで、相手の持っている
真価に触れられる可能性が増えるわけです。


…はたして、『Gダライアス』の評価は好転するのでしょうか?

それは以下をお読みください。



■第二章『ダライアスについて』

…正直、僕は『ダライアス』シリーズ
あまり良い印象を持っていません。


自機の動きに関係なく、
淡々と見えないレールの上を走っているような
無味乾燥な
敵の動き。

自機のショットはほぼ前方のみで、
『グラディウス』のようなオプション兵器による
広範囲への攻撃手段を持たないにも関わらず、
常時あらゆる方向から迫り来る、
ひどい
敵の出現パターン。

見てからでは手遅れ。
とにかく動き回っておかないとほとんど対処できない

敵の高速レーザー兵器。


…などなど、「硬派」と呼べば聞こえはイイが、はっきり言って
「なぜここまでの苦行を強いられても
ファンは大喜びできるのだろう?」

という疑問が常に頭から離れないのです。


…もっとも『ダライアス外伝』だけは別で、
ばっちりパワーアップする強力な自機を駆る戦いは爽快でした。

それから考えると、僕が同シリーズに感じていた不満の大方は、
『どうして敵はこんなに強いのに、自機はこんなに弱いんだろう』
という、爽快感の欠如に起因していたのかも知れません。



…で、当の『Gダライアス』はどうなのでしょう?

最初に結論から言えば、当ゲームは間違いなく
『ダライアス』シリーズの流れをくむゲームです。

僕が『ダライアス』シリーズに感じていた不満が、
バッチリ継承されているのですから。


…以下で、そのイキな継承されっぷりも含めて、
PS版の『Gダライアス』という作品を
ゲーム的な流れにそって眺めていきましょう。



■第三章『PS版 Gダライアス』

…まずはオープニングを見てみましょう。

なんかいきなり、
アーケード版ではリアルタイムポリゴンだったところが
ムービー にすりかわっています。

PSのスペックでは、オリジナルと同等の
ポリゴン処理は無理だったようですね。


それはイイとして、ムービーの質がヒドすぎませんか?

物体がドロドロにぼやけ、かつワープしたように動きます。

開発チームもさすがにこのクオリティは「マズい」と気付いたらしく、
新しい映像を加えて再編集されているようです。



…とりあえずゲームを始めましょう。

ここだけ妙にクッキリとした発進シーンが終わると、
ザラザラの質感にあふれたポリゴン(テクスチュア)
プレイヤーを歓迎してくれます。


やたら面数の少ないポリゴンで構成された、
背景のガクガクの地形は、好意的解釈をすれば
たいへん未来的ですね。


自機・敵・背景すべてが同じ明度なので遠近感もへったくれもなく、
全ステージ中でも屈指の「ケバく見づらい画面」
自機を見失っての敵との激突すら引き起こし、
1面目から早速投げ出したくなりました。



…ここでちょっと断っておきますが、
『Gダライアス』の画面演出には
けっこう美しいものが多いです。

原始惑星の上空を翼竜が優雅に飛び交ったり、
土星がボスに砕かれて小惑星帯になったり、
宇宙コロニー上空を飛行したり、
大彗星とランデブーしたり…


しかも、それらの映像が空気遠近法などをキッチリと使った
広がりを感じさせるものになっていて、それだけで心地良いです。

最初のステージの大地のポリゴン面数が少ないのも、
恐らく同ステージ内の他のオブジェクトに
面数を取られている結果だろうと推測できます。


とは言え、「つかみ」となる重要なファーストステージなのですから、
もうちょっと何とかならなかったのでしょうか?



…なんて言っているうちにボス登場です。

『Gダライアス』では
ボスごとに異なる登場演出があり
楽しませてくれます。


…例えば、最初のステージのボスは、アップになったときに
目の部分に自機(シルバーホーク)が映りこんでたりします。


他のボスも多彩で、
3機が合体分離したり、
ボス同士が殺しあって生き残ったほうが自機に襲いかかってきたり、
雲海上を本物の海のように水(雲)しぶきを上げながら跳ね回ったりします。


遠方から、自機の近くに
頭だけをにょっきりとワープアウトさせて攻撃してくる、
「どこでもドア」使用中のド●ラえもん
みたいな方もいらっしゃいます。


…何より、ポリゴン化によって、大きな相手に対しては
カメラアングルが必然的に「あおり」になるので、
従来のように「自機などとの対比」を意識しなくても、
ごく自然にボスの巨大さを実感できます。

ポリゴンの利点を活用した好例ですね。



…と、視覚的には素晴らしいボス戦ですが、いざ戦いが始まると、
そのダラダラした展開にパッドをブン投げたくなることしきりです。


原因は、ボスの耐久力の異常な高さにあります。

通常ショットだけでは、
撃沈するまでに 老衰で死亡 軽く5、6分はかかる
驚異的な耐久性を誇るボス。


もちろん、敵をキャプチャーして『αビーム』を撃ちこめれば、
順当にいって20秒ほどで軽く撃沈できます。

敵をキャプチャーしていない場合でも、
ボスが時々ザコを吐き出してくれるので、
それをキャプチャーすればOKの親切設計。


…ただ、困ったことに
「ボスがザコを出す機会は、1分間に1回程度」
なのです。

それまでは、悪魔的とすら言える
ボスの猛攻撃を避けながら命をつながなければならず、
その間の戦闘は無抵抗にも近い状況も相まって
苦行そのもの。


『αビーム』は当ゲームの魅力であるはずなのに、
それを活用できる数少ない場面の1つであるボス戦で
バンバン撃たせてもらえないのは何故なのでしょう?


例えば『αビーム』の威力をグッと下げて、
替わりにザコのキャプチャーチャンスを増やせば、
ボス戦は巨大ビームが入り乱れる豪快な見せ場となる

ように私には思えるのですが?

企画の方がストイック志向なのでしょうか?



■第四章『エピローグ』

…まあ、そんなこんなで数々の戦いを乗り越えて、
コース毎に異なる5つのエンディングに辿り着きました。

が、このエンディング。 映像オンリーな状況も手伝って、
どれもこれも意味が分かりません。


…移植スタッフもさすがに「マズい」、と気付いたらしく、
コンフィグモード内で見れるエンディングの際には
(一度クリアしたコースのエンディングは、ココで何度でも見れる)、
最初に文章によるエンディングの内容説明が入るようになっています。

賢明な処置だと思います。

イヤミでも何でもなく、本当に分かりませんから。
あのエンディング。


…例えば、下のようなエンディングがありましたが、
僕は青文字のような内容だと思っていたぐらいですから。
(ちょっと脚色含みますが)

本来の内容も赤文字であわせて説明しますから対比してみましょう。





…男主人公を最後の戦いで
失ってしまった女主人公は
見知らぬ惑星に不時着した。


…女主人公は、やっと
ふるさとに帰ってきた。







…嘆き悲しむ女主人公。


…「やっぱり故郷はイイわねー」
草原を転がりまくる女主人公。






…手を差し伸べる
見知らぬ男性。


…手を差し伸べる
原住民。






…女主人公は、その男性に
失った男主人公の面影を見る。
2人は共に生きていくこととなる。


…原住民 「ちょっとアンタ何してん?」
女主人公「あれ? ここ、ダライアス星じゃないの?」
原住民 「ブブ〜、ここ俺らの星よ?」
女主人公「ヤベ、マジ? 超むかつく







…コンフィグモードの説明がなければ、
今でも勘違いしたままだったかも知れないと思うと、
背筋が凍る思いです。

タイトーのシューティングゲーム全般に言えることのようですが、
エンディングのわけ分からなさは業界内でも群を抜いています。


エンディングは大事な「閉め」です。

作った者だけしか分からない自己満足の代物は、
プロとしての責任ある仕事から
最も遠い位置にあることを自覚してください。



…さて、総合評価ですが、視覚的演出はなかなかイイのですが、
敵の配置・ステージ構成・ボス戦など戦闘全般において、
独自のシステムをキッチリと念頭において作られているとは言い難く

全体的にダラダラと間延びした感があります。

当ゲームがゲーセンで出た当時に私が感じた感想は、
結局くつがえりませんでした。

「システムを活かした敵の能力・配置」を考慮し
再構成された続編の登場を期待します。 



戻る