監督: 多数


『怪談新耳袋 劇場版』


2004年 日本

執筆日: 2006年 10月03日





■第1章 『8篇』


『怪談新耳袋 劇場版』は、ホラーです。


8篇の短編からなる映画で、その内容は多岐にわたります。
以下に、各々の話について個別に感想をまとめてみましたのでご覧下さい。

ちなみに個人的に、
画面に手形がいっぱい出てタイトルを形づくるアイキャッチは、
ブキミで好きです。




『夜警の報告書』
(監督:古田秋生)

警備員が短期間で次々と辞めてしまうビルの話。

内部が荒れっぱなしのビル内の映像が多数あるのですが、
こういう「以前に誰かの生活の跡がこびりついている場所」は、
夜の闇を通してに見ると本当にブキミですね。

自然の風景から逸脱しているのが余計に際立つというか…


カメラの工夫で、「画面に見えている範囲」が、
主人公の見ている範囲(必ずしも一人称視点ではない)に近付けてあるので、
主人公の驚きを視聴者が共有できる箇所が多く、好感が持てました。

全体的にハデさは無いが、ベタでも少しずつ少しずつ
小さな恐怖を積み上げていく構成で、丁寧です。
怖いシーンにかぶる、目立たないが効果的なSEもイイ。


残念なのは、ヨシザワが能天気(というか異常)すぎて、
せっかくのリアリティがやや損なわれてしまっている点。
また、従来の怪談モノに比べて幽霊の血色が良いので、
パッと見の怖さが弱い気がします。

10点満点で、6点ぐらいかな?





『残煙』
(監督:鈴木浩介)

社員旅行の途中で、夜間に自動車に乗って
単独行動をとった3人の女性が出会う恐怖を描いた話。


車内の、女同士でいるときの飾り気の無い態度には、
ややババ臭いがリアリティがあります。


が、被害が出始めると、直接的な死の恐怖がある反面、
「人間が煙になる」という唐突な現象がどうしても安っぽい
最低限、何からの「理由」が無いと、ウソ臭さが強調されて白けてしまう。

不気味な音に包まれたり、それが近づいてくる、という演出もありきたりすぎる。

演技はがんばっているとは思うのだが… かろうじて5点かなー?





『手袋』
(監督:佐々木浩久)

昔付き合っていた男と再会したその日から、悪夢に苦しめられる女性の恐怖話。

内容は、恋敵の生霊に苦しめられるというオチ。

手垢つきまくり。 ひどすぎる。 1点。





『重いッ!』
(監督:鈴木浩介)

夜中に、母親が幽霊に腹の上に乗られて苦しみます。
で、やっと幽霊が消えてくれてホッとしたのも束の間、
今度は子供の上に乗っていました。



…だから何? という感じの、尻切れトンボすぎる内容。
言いたいことが分からない。

怪談ドラマの、中途の5分を見せられた気分。 2点。





『姿見』
(監督:三宅隆太)

卒業を間近に控えた男子高校生2人が、放課後、
体育館の用具室にある鏡のウワサを試したせいで出会う恐怖。


最後の化け物女は止め画面で見ると恐怖だが、
バスケットボールを持ってガニ股で体育館を走ってくる姿
ちとマヌケすぎて失笑…

ただ、短時間でメリハリがあり、視覚的恐怖も高いので、7点。





『視線』
(監督:豊島圭介)

中学(?)のタイムカプセルに入れるビデオを撮影したところ、
その中に霊らしきものが。 アイドル志望だが内気な女学生は、
それが元でクラスの人気者になっていくが… という話。


ビデオや写真の内容がジワジワと変わっていくというのは
よくある話しだし、最後はビデオから抜け出て… というのも、
どうしても『リング』のオチがちらついてしまう。

周りの人間関係が底々ちゃんと描写してあるので、
他の話よりリアリティは高めだが。

7点… かな?





『約束』
(監督:雨宮慶太)

普通〜の若者が、短期間だけ親戚のオジのマンションを
借りれることになったが、オジは、無人であるはずのマンションなのに
『呼ばれたら返事をしろ』とだけ言い残して出かけてしまう。

部屋の中にいると1日1回呼び声がするので、
それに応える…という不思議な話。


まず、主演の 曽根英樹 の自然な演技が実にうまい。
声に呼ばれたときのやや緊張した受け答え方や、
ちょっとした仕草の中に適度に含まれるマヌケな素振りが、
彼の存在感をシッカリ視聴者に残す。

最後に「声の主」が姿を見せるが、やや蛇足に思える。
出るまでのほうが怖かった。
「声の主」の顔面アップは、当映画屈指の恐怖映像なのだが…

曽根秀樹の演技力と、話の奇抜さで… 8点。





『ヒサオ』
(監督:平野俊一)

導入は、引きこもりの息子を相手にする母親の孤独… といった感じ。

話自体は前半で大方オチが読めてしまうのだが、
返事も何もしない息子に延々と語りつづける、
成長期の男子との距離にヤキモキする母親のアセリと孤独…
そして後半の、じょじょにヒステリックになり
泣きながら階段を拭くあたりからの一連の演技など、
「鳥丸せつこ」の演技が実に素晴らしい。

最後のシーンも含めて、「世間の不条理」、
「殺人犯が報いを受けても、被害者家族にとっては根本的に何も変わらない」

という寂しい現実を書こうとした意図を感じる作品。

ロッキングチェアーに腰掛けるヒサオが
やたら揺れているのが安っぽくて残念。

全体のまとまりの良さと、烏丸せつこの演技力で、8点。







■第2章 『書籍についても』


最後に、この映画に関連して、
書籍の『新耳袋』について語ってみようかと…


この本の趣旨は、
「怪談ではなく、不思議な体験を意味を問わずありのまま」
という収録姿勢であると、どこかで聞いた事がある。

それは置いておいて、
僕も実際「第二夜」「第五夜」を持っているのですが…

最低限『おっ』と心に響いた話は、
1冊ごとにせいぜい3話程度しかありませんでした。

にも関わらず、世間でのこの本の評価は高いです。
僕の見るかぎりですが、信じられないほど高評価。
そこに、現代人がいかに『怪談』というものを軽視してきたか
が読み取れて、心底悲しい思いをしています。



本当に面白い怪談は、
『生物が本能的に持つ、闇への恐怖心』を物語に内包できる、
経験豊かな人生と高い文章力・演出力によって成り立ちます。

でも『新耳袋』は、そういう怪談の高い娯楽性からは
かけ離れた位置にいる書籍だと思うのです。




あるいは、「怪談本」として評価すること自体、
まちがっているのかもしれません。

他人から聞きまとめた話集という形式にうそいつわりがないのであれば、
(つまり、よくある、『実際は全てライターが書いているのだが、
便宜上、読者投稿をよそおっている話集』でなければ)

その中身は読者投稿などによって成り立つもので、
読者は自分の投稿が載っているかもしれない期待感や、
載っていたときの満足感を得られればOK。

昔ながらの言い方をすれば、
この本はただの「トイレのラクガキ集」であり、
そのラクガキから何かを読み取る人は読み取ればいい…
ということになります。

その体裁がたまたま「怪談」であった、というだけの事なのでしょう。




ただ、こうやって映像メディアで見てみると、
『新耳袋』はあくまで「怪談」の形式を取っています。

ラクガキでは商売として成り立たないから…
という思惑があったのかも知れませんが、
そこに、趣旨のアヤフヤさが感じられて不愉快です。


ラクガキなら、とことんラクガキを追究するべきだと思うのですが?

『新耳袋』の書き手は、そのあたりをどう思っているのでしょう?






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