監督: ウォルター・サレス


『ダーク・ウォーター』


2005年 アメリカ

執筆日: 2009年 05月18日





■第1章 『仄暗い水』


『ダーク・ウォーター』ホラーです。


ホラー好きな方なら、観てすぐにピンと来るとおり、
これは邦画『仄暗い水の底から』米国アレンジ版です。


僕自身、「仄暗い~」を観てから4年経っているので、
さすがに細部は憶えていないのですが、
舞台は違えど、かなり邦画版に近いと感じました。
邦画「仄暗い~」に関する僕の感想はこちらです)



「仄暗い~」の感想の中で、
『主人公の抱える苦難を2割ほど軽くし、逆に、
主人公の生活の安定を2割ほど増せば、もっと見やすくなるのでは?』

と書いた自分ですが…

奇しくも「ダーク~」では、それが実践されているように見られました。



例えば、主人公の婦人『ダリア』が娘『セシー』を預けた幼稚園ですが、
その保母たちには邦画版にあったような冷たさ・奇怪さが無く、
普通に園児に接することができる女性たちでした。

ダリアが近場の「放射線治療クリニック」に面接に行った際も、
ここでの仕事はつまらないものだとグチりながらも
ダリアの苦境を聞いて採用に踏み切った中年婦人は、
「1つだけ約束して。 他にいい仕事を見つけたら私も誘ってね。」と、一言(笑)

つまり、不幸の度合いは邦画版と同じでも、
「少しは話せる」「話が通じる」人間が周りにいる分、
洋画版の主人公の背負う負担のほうが相対的に軽いのです。

そしてそれは、主人公に感情移入して観ている
ユーザーの心理的負担も、同時に軽くしている。


邦画版を観た海外スタッフがバランスを取ったのか、
元々米国の社会風土がこうなのかは分かりませんが、
『娯楽として楽しめるレベルまで、ボーダーを下てくれている』点では、
『ダーク・ウォーター』は邦画版より完成度が高いと言えそうです。







■第2章 『少し気になる点』


反面、最後の最後になるまで幽霊少女による明確な攻撃(?)が見られない展開は、
丁寧に伏線をしくためと理解できても、どうしても冗長感がただよいます。

…いや、これはあるいは、すでに邦画版を観て結末を知っている
自分のようなユーザーだからこそ抱く冗長感かもしれません。



あと、最後にエレベータの中で、
主人公の幻影が娘の前に現れて、娘がほほえむシーンがあるせいか、
あたかも『良い話』みたいなシメになっていますが…

この物語って結局、
『両親になかば捨てられるように死んだ少女が、
母親の愛欲しさに、生きている母娘の母親を強奪した』
わけでしょ? 

そうした「救われなさ」の表現は、
母親との突然の別れをエレベータの扉を隔てて泣きながら体験した
娘の描写
がある分、邦画版のほうが上だったと思うのです。




いずれにしろ、海外にありがちな『直接的な死への恐怖』ではなく、
日本的な『理性を少しずつ剥いでいく』ホラーを
キチンと再現しているスタッフには、敬意を感じました。

大好きな料理を、いつもと違う器を使って食してみるような楽しみ…
皆さんも、ぜひお試しになってみて下さい。






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